端境期

 端境期といっても今の若い人はピンとこないであろう。

 戦中、戦後の40、50年代、食糧難の時代米が日本人の主食であった、毎年9月ごろになると前年に収穫されたコメが日本中で底をつきその年の新米ができるまでの間を端境期といって国民誰もがその年のコメの作柄を心配し、新米ができるのを待ち望んだものである。

 昔は新米が出るのは10月になってであった、今はコメの栽培技術が進んで9月には新米が出てくるようになり端境期という言葉も聞かれなくなった。

 というのは今月5日にjisei家に知り合いの農家に予約してある約1年分の新米が早々と届けられた、、数年前はお彼岸の頃に届くのであるが毎年早くなって今年は9月の初めに届いた。

 日本人のコメの消費量もだんだん減って、昔小学校で教わったのは日本人のコメの消費量は成人一人年間1石というから2俵半、約150kgといわれた、まさに主食であった。

 今はどうであろう、一人50kg/年消費するかどうかではなかろうか。

 戦後米の増産が叫ばれ、日本中で干拓され水田が開かれた、80年代になると日本も豊かになり食生活のスタイルも変わり、洋風化されパンや肉が主食のようになった。

 今度はコメ余りである、減反減反が叫ばれ農家が翻弄され、米の統制がとれどこでもコメが自由に変える時代になった。

 jiseiが結婚した69年ごろにはまだ米が自由に変えなくて、農水省発行の通称『米穀通帳』というのがないと米屋で米が買えなかった、その米穀通帳というものを昭和の記念にまだとってある。正式には『一般用米穀類購入通帳』といった。

 10年ぐらい前まではテレビでもこの時期になると新米の収穫が始まりましたの映像が流れ3日もすると米屋に『新米が入荷しました』の張り紙が出たものである、今はこの風景も見なくなった。

 毎年8月、9月になると米の作柄状況というのが農水省から発表されていたが今年はまだ見ていない、『良』『やや良』『平年並み』『不良』、良、やや良の地区が多いと何となく安心したものである、もうこういう調査もやめたのであろうか。

 せっかく早く届いた新米であるが生協で買ったばかりの銘柄米『ゆめぴりか』、去年の新米がまだ米びつに残っていて今年の新米、銀シャリをまだ食べてはいない、銀シャリという言葉も今では死語なのであろ。